残りの日々を楽しく

そろそろ終活の季節になってきました。残りの人生を前向きに生きていきたいと願って名づけました。

責任は、それを果たす能力と権限がある者に課す

木村草太著「木村草太の憲法の新手3」2022年4月・沖縄タイムス社の紹介です。

この本は、2019年3月(100回)から2021年4月(149回)までの沖縄タイムス紙の連載コラムをまとめたものです。木村さんは、私(吉田)が一番尊敬している憲法学者です。時事問題を扱いながら、それを人権や権力分立、民主主義、法の支配といった憲法上の諸原理との関係を考えてくれています。とても勉強になる本です。なお、このコラムは2023年5月21日を最後に8年間にわたり200回(月2回)の連載を終了しています。

今回取り上げたのは、「110 いじめ防止の責任は大人に」からです。木村さんは、法の大原則「責任は、それを果たすだけの能力と権限がある者に課す」から、「いじめ防止対策推進法」を読み解いて、私たちの納得のいく形で説明されています。

責任は、それを果たすだけの能力と権限がある者に課す。これが法の大原則だ。大人には、それぞれが持つ能力・権限に応じて、果たすべき役割がある。

まず、校長や担任教員には、強制的な出席停止権限はないものの、教育指導権限や懲戒権限がある。したがって、強制力のない指導で解消するいじめへの対応は、担任や校長の責任だ。

次に、加害者に対する強制的な出席停止処分は、教育員会の権限だ。したがって、強制措置が必要ないじめは、教育委員会の責任で解消するしかない。

現場に立つ教員のほとんどは、いじめをなくそうと、「止めなさい」「相手が嫌がっている」との指導をしている。しかし、被害者を追い詰めるような悪質ないじめの多くは、教育委員会が介入し、出席停止処分を出さねばならないはずだ。現状、最も悪質ないじめの「傍観者」は、教育員会ではないか。

最後に、犯罪への対応は、警察や司法機関の責任だ。いじめといわれる行為の中には、殴る・蹴るといった暴行・傷害、金銭を要求する強要・強盗に当たる行為も少なくない。犯罪行為への対応は、警察に委ね、加害者の更生も、児童相談所等の専門機関の関与の下で行うべきだ。教員や教育員会には、犯罪に対処する能力も、刑罰を科す権限もない。できもしない犯罪対応を引き受けるのは、むしろ無責任であって、被害者を苦しめるだけだろう。

こどものために、教師と教育員会、警察は、それぞれの役目と責任を自覚して、できもしないことをやるのではなく、やらなければならないことをやっていって欲しい。