残りの日々を楽しく

そろそろ終活の季節になってきました。残りの人生を前向きに生きていきたいと願って名づけました。

沼正也教授の思い出

私は1975年から1980年まで中央大学法学部に在籍していました。そこで唯一影響を受けた先生が、民法の沼正也先生です。先生の講義を受けたのは3年次か4年次の民法・親族法だったと記憶しています。教科書は先生の「墓場の親族法と揺りかごの財産法」と「与える強制と奪う強制」。中央大学は1979年に神田駿河台から多摩に移転しましたが、先生の講義を聴くために5年次は(夜間部)で残した単位をとりました。
あれから40年以上経ちましたが、今、沼先生の最後の著作「エイジレスの法理 沼正也著作集32」1996年7月発行と、当時持っていた「法学へのささやかな接近」をアマゾンで購入できました。
「エイジレスの法理」は、1991年4月から1992年3月まで2か年の講義(中央学院大学?)の覚書等が中心となっています。最初の「市民社会市民社会法(私法原論ノート抄)」は未発表もので147ページが当てられ、これまでの先生の市民社会法の基礎理論がまとめられています。この部分は私が大学時代に聴講したもののエッセンスといえる部分です。
その後の「高齢化社会と企業経営~エイジレス・エイジを射程に入れて」23ページと「21世紀に向けて~セックスレス・エイジからエイジレス・エイジ、エイジレス・エイジからボーダーレス・エイジへ」4ページがこの本のタイトルとなっている部分です。
高齢化社会と企業経営~エイジレス・エイジを射程に入れて」は講演草稿で①市民社会、②高齢化社会とエイジレス、③エイジレス・エイジと企業経営が簡単に述べられています。
「21世紀に向けて~セックスレス・エイジからエイジレス・エイジ、エイジレス・エイジからボーダーレス・エイジへ」は①沼先生の研究史と②現時点の関心事と③後継者に向けての伝言と展望が短く述べられています。
沼先生の使われている「セックスレス・エイジ」は性差別のない時代、すなわち両性の本質的平等時代のことで、「エイジレス・エイジ」とは年齢差別の時代、すなわち年齢差別禁止時代という意味です。
私(吉田)も還暦を過ぎ、66歳となった。2年前に髄膜種の手術をして、少ない年金をパートで補いながら余生かなと思っていたが、私が中央大学で受けた当時の沼先生の年齢はおそらく今の私くらいだったと思います。階段教室で聴講者はあまり多くはなかったと思いますが、マイクを持って立って目を閉じて講義をされていました。時々、首を傾げたり、目を開けたり、「どうしてもそうなっちゃうんです」と自分に言い聞かすように話しておられました。そのことを思い出しながら、もう一度、私も人生をあの頃からやり直したくなってきました。
法学(特に民法憲法)、哲学、政治学、経済学などを現在から振り返るとともに、資格試験に挑戦してみます。