残りの日々を楽しく

そろそろ終活の季節になってきました。残りの人生を前向きに生きていきたいと願って名づけました。

一茶と芭蕉

高橋順子編「一茶 生きもの句帖」小学館文庫2002年発行を買いました。

「江戸期の俳人小林一茶は、終生家族運に恵まれなかった。その欠落を埋めるかのように小動物を愛した。蛙、雀、猫、犬はいうにおよばず、蚤、虱に至るまで、詠んだ句は膨大な数に上る。その中から480句を厳選。やんちゃで繊細、そして深い業を道づれとした不遇の俳人の心象を、美しい中国地方の山里風景とともにたどる。」との説明書きがありました。

その中で、「蛙」について、芭蕉と比較して書かれた箇所がありました。ああそうかなんだ!と分かりました。

「蛙の鳴き声は詩歌にうたわれてきたが、姿は歌人たちの嗜好に合わなかった。芭蕉の句(古池や蛙飛びこむ水のをと)がなぜこれほど有名になったかといえば、それまでの詩歌の常識をくつがえすものだったからである。この蛙は泣きもせず、ただ小さな水音を立てたが、蛙の体の動きが句の表面に初めて表われたのだった。俳諧の世界への波紋は大きかった。」「しかし芭蕉のこの蛙は顔のない蛙である。景物の一つである。他方、一茶によって蛙はいろいろな表情を見せるようになった。一茶は蛙の一ぴき一ぴきと親身に付き合ったのである。」

「蛙がどんな気持ちで鳴いているのか一茶にはよく分かる。仕方なしに鳴いているのか、桜吹雪にご機嫌になっているのか、富士山のシルエットに見惚れながらか、おどけているのか、居直ってか、連れにはぐれてか。」「擬人化というよりも、まるで一茶自身が蛙の皮をかぶって一喜一憂しているようなものだ。蛙が一茶か、一茶が蛙か。蛙を見ていると一茶は自由になれた。そんなふうにいつしか五七五の世界に遊ぶ自由を獲得し、世に一茶調といわれる独自の世界を生みだしていった。」

そういえば、私の大好きな木村緑平さんも「小さい命」「雀の生涯」でたくさんの生きものを詠っています。まずは「小さい命」780句をこの本のようにまとめておきたいと思います。

それから私の思っている俳句は、荻原井泉水さんのいうように自由律でも定型でも関係ないので、これからは「自由俳句」と呼ぼうと思っています。「蛙が一茶か、一茶がか蛙か。蛙を見ていると一茶は自由になれた。」そう、この境地を目指します!