残りの日々を楽しく

そろそろ終活の季節になってきました。残りの人生を前向きに生きていきたいと願って名づけました。

憲法という希望

木村草太著「憲法という希望」講談社現代新書2387・2016年9月の紹介です。

今、私が一番尊敬している憲法学者で、わたしたちに勇気を与えてくれる憲法の論理で闘う憲法学者です。

大学の時、「都市の論理」で有名な羽仁五郎さんが好きで、よく読んでいました。国立国会図書館のホームページの「使命」の「コラム 真理はわれらを自由にする」で参議院図書館運営委員長だった羽仁さんのことが述べられていて、「従来の政治が真理に基づかなかった結果悲惨な状況に至った。日本国憲法の下で国会が国民の安全と幸福のために任務を果たしていくためには調査機関を完備しなければならない」という趣旨のことが述べられています。

ところで、みなさんは「憲法の番人」は誰だと思いますか? 私は、大学のときの憲法知識(第81条 最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。)で「最高裁判所」と答えると思います。

でも、木村さんは蟻川恒正さんの「中世立憲主義において貴族が王とたたかって権利章典を守らせたように、近代立憲主義のもとでは、尊厳の担い手となった個人が公権力担当者に憲法を守らせるのである。」を引用しながら、「尊厳の担い手となった個人が公権力担当者に憲法を守らせる」のが今日の憲法のあり方であり、「憲法の番人」である「個人」が憲法を使いこなしてこそ、憲法が活きていくのです。そう述べています。

木村さんは、憲法と一人ひとりの国民、それから憲法学者について次のように書かれています。

憲法を守らせるのは、究極的には私たち国民です。私たち一人ひとりが、権力者に憲法を守るように求めていかねばならないのです。もちろん、訴訟で判断を示すのは裁判所ですし、政府の行動に関する憲法チェックをしているのは内閣法制局です。しかし、究極的には国民一人ひとりが憲法を理解し、権力者が不当なことをしている時に、「それは許されない」という声を上げていかなければ、裁判所だって内閣法制局だって、権力者の側に引き寄せられていってしまいます。

通常は、憲法学者が警告すれば、国民も権力者に対して警戒の目を向けますから、権力者はそうそう悪いことはできません。しかし、国民が憲法学者の警告を無視するようになれば、権力者は憲法に縛られずに、やりたい放題をする日がくるでしょう。