残りの日々を楽しく

そろそろ終活の季節になってきました。残りの人生を前向きに生きていきたいと願って名づけました。

今日が人生最後の日だとしたら

聖徳太子のことが気になっています。

先日、仏壇を新しくして、お坊さんに念抜き・念入れをしてもらったのですが、日本人が何故、仏教を取り入れたのかが気になっていました。

田中英道さんのyoutube動画で、神仏混合で理解したのですが、その際の聖徳太子の位置にとても関心があります。

聖徳太子は「三経義疏」を書いたとされているので、図書館でそれを借りてきたいと思っています。

なお、仏教を推進した蘇我氏宗賀氏)については、小名木善行さんのyoutubeがとても参考になりました。

一年で人生が終わるとしたら

2月に母親が亡くなって、100日が過ぎ、遺品の整理がだいぶ捗りました。

整理というより、ゴミの片付けが大部分です。

本人にとっては捨てられないものだったのでしょうが、残された私たちにとっては、ほとんどが引き取り手のないものでした。

そこで、私自身感じたことは、自分の身の回りのことです。

自分自身を振り返って、ほとんどものはゴミにすぎないのだと。

お金と貴金属以外は、家族にとっても価値のないもの、ゴミにすぎないのかもしれません。もちろん、思い出以外でのことですが。

まだ、母の片づけは終わっていませんが、自分自身の片付けも始めました。

まずは、本の整理から始めました。3百冊ほどをブックオフに売ってもらいました。

まだ100冊以上は残っていますが、それも徐々に整理していきます。

物の整理というより、心の整理といった方が合っています。

人間も、何も残さず、亡くなった方がいいのだと思いました。

角川春樹句集「白い戦場」

2011年に発行された角川春樹著「震災句集 白い戦場」を購入しました。

角川さんの句集は、獄中俳句「海鼠の日」と「JAPAN」を持っているのですが、急に、読みたくなって、この本と魂の一行詩・自選100「地果て 海尽きるまで」を取り寄せました。

角川さんの俳句が魅力的なのは、すべての俳句が剛速球で投げているところだと感じています。その俳句が捕手(受け手)のミットに収まったとき、私が捕手であってもバッターであっても、もう脱帽しかない爽快さがあります。

そのことは、本人が「あとがき」で詩歌について次のように書かれています。

 日本文化の根底にあるのは、紛れもなく詩歌である。詩歌の語源は神と人に「訴える」ことに由来する。更にウル言語に遡れば「ものを撃つ」という行為である。神の前で演じられる音楽や祝詞も、この撃つという行為から出発する。転じて「人の心を撃つ」言葉が、詩歌として発展してゆくのである。

 しかし、現代の詩歌に、果して「人の心を撃つ」或いは「訴える」だけの力があるのだろうか。今、現実として存在するのは、半径50センチの「盆栽俳句」と「盆栽短歌」だけである。現代俳句であろうが、現代短歌であろうが、人の心を撃ち、訴える力を持つのは抒情詩だけであろう。その抒情詩とは、詠み手と読み手が共振れを起こす感動以外にはない。

しかし、現代の俳句結社誌と総合誌が論じているのは、俳句上達法の技術論のみである。技術とは、人を感心させるが、人を感動させることはできない。

こう言えば、尾崎放哉しかり、種田山頭火しかり、角川春樹しかり、最終的にはその人の生き方と素質に依拠するのであろうが、私も、感性だけは、それに近づきたいものである。

最後に、帯に書かれていた「自選十句」を書き留めておきます。

なゐふるや飢餓列島の吹雪ゐる

にんげんの鱗の乾く震災忌

地震(ない)狂ふ荒地に詩歌立ち上がる

白い戦場となるフクシマの忌なりけり

今日生きて今日の花見るいのちかな

慟哭のこゑ天にある桜かな

瓦礫より詩の立ち上がる夕立(ゆだち)かな

ヒロシマの一樹余さず蝉時雨

ざぶざぶと昼が朽ちゆく長崎忌

八月の海にいのちの帆を上げよ

日脚伸ぶ

17時頃、少し離れたスーパーに買い物に行ったのですが、帰る時もまだ明るくて、「日が伸びたなあ」と実感しました。岡山の日没は17時40分。2月末日の日没は18時になります。一か月前は17時10分で、確かに12月初めは16時50分位だったので、そう感じたのだと思います。

1か月後の日没は18時、2か月後の4月中頃は18時30分だそうです。これからはますます日が伸びていきます。同時に、7時頃の日出も、2か月後には5時40分位になります。

【今日の俳句】

枯野にもまたくる春という希望がある

死に方は選べない いい生き方と生きるだけ

身の回りだけ片づけ小さく生きる老いの知恵

また芽吹くかも知れぬわたしの中に種をまく

~久光良一句集「泣かせ節」より~

安住院の椿



雪の名前

首都圏では雪で、交通への影響とともに、救急車の発動が増えて大変だったとニュースで報じられていました。関東地方南部に春の雪(立春過ぎの雪)を降らせることを、最近の天気予報では「南岸低気圧」という言葉を使うのですね。

前から使っていましたっけ? 冬型の気圧配置が崩れはじめたとき、その隙間を縫って日本列島を西から東に移動性の低気圧が次々に通り抜け、この低気圧が関東地方を沖を通るとき、北から冷たい風が吹き込んで雪をふらせる、ことです。

ブログ「JINさんの陽蜂農遠日記」2017年2月14日からの受け売り・孫引きですが、雪の名前もこんなにたくさんあるのですね。

泡雪(あわゆき)、淡雪(あわゆき)、乾雪(かわきゆき・かんせつ)、霧雪(きりゆき)、凍雪(こおりゆき)、小米雪(こごめゆき)、粉雪(こなゆき)、細雪(ささめゆき)、粗雪(ざらめゆき)、湿雪(しめりゆき・しっせつ)、驟雪(しゅうせつ)、玉雪(たまゆき)、灰雪(はいゆき)、花弁雪(はなびらゆき)、べた雪、ぼた雪、牡丹雪(ぼたんゆき)、水雪(みずゆき)、餅雪(もちゆき)、綿雪(わたゆき)

そして、雪の降り方を表わす言葉は・・・

こんこんと、さらさらと、蕭蕭(しょうしょう)と、しんしんと、ちらちらと、はらはらと、霏霏(ひひと)、ふわりふわりと、綿々(めんめん)と

新沼謙治さんの「津軽恋女」が、youtubeでも見られますが・・・

 津軽には七つの 雪が降るとか

 こな雪 つぶ雪 わた雪 ざらめ雪

 みず雪 かた雪 春待つ氷雪

 津軽の女(ひと)よ

話は変わって、万葉集で「梅」の歌をひろってみると、119首がヒットしました。この時代は、ほとんど「白梅」を詠んでいるので、梅(白)~雪(白)、梅とウグイス、梅と柳、梅と雨、梅と月などが連想されています。

有名なのが大伴旅人の次の歌だと思いますが・・・

822 我が園にうめの花散るひさかたの 天(あめ)より雪の流れ来るかも

私の勝手に選んだ歌を、6首ほど・・・

2329 雪寒み咲きには咲かずうめの花 よしこのころはかくてもあるがね

3901 み冬継ぎ春は来たれどうめの花 君にしあらねば招く人もなし

3902 うめの花み山としみにありともや かくのみ君は見れど飽かにせむ

3906 み園生(そのふ)の百木(ももき)のうめの散る花し 天(あめ)に飛び上がり雪と降りけむ

4283 うめの花咲けるが中に含(ふふ)めるは 恋や隠れる雪を待つとか

4500 うめの花香をかぐはしみ遠けども 心もしのに君をしそ思ふ

少林寺の梅

 

久光良一第1句集「走り雨」

平成25年(2013年)3月の「あとがき」で次のように述べている。

郷土の田布施町には、山頭火のデビュー時代の句友であった江良碧松が創始した「周防一夜会」という伝統ある自由律俳句の会がある。私が退職して郷里に帰り、この会があることを知って入門したのが俳句との出会いである。57歳という遅咲きではあるが、継続は力なりということばを信じ、一日三句を作ることを目標に作句を続けている。

俳句は大きな目で見れば、詩のジャンルに属するものであるから、ポエジーを何より大切にし、私なりの叙情の世界を作り上げたいというのが願いであるが、まだ志半ばとまでも言えぬ状態であり、これからも精進を続けたいと思っている。

 

内容は、5つに分かれており、その300句の中からすこし紹介します。

 

「風の卵」 平成4年~11年

 淋しいので あたたか~いのボタンを押す

 今年も生きて夏を大の字に寝る

 らくに死にたいとらくに生きている

 でも何もしない口がああだこうだ

 

「走り雨」 平成12年~14年

 ふんわり生きたい足がおもたい

 ハンガーが夕べの疲れぶらさげている

 

「春の石」 平成15年~16年

 もうでもなく未だでもなく生きてこの秋

 耳掻き棒 脳の痒さにとどかない

 うかうかと春の石につまずく

 道も家並みも小さくなって ここがふるさと

 錆びついた人生のキーキー鳴る自転車だ

 舌打ちして苦笑いして自分を動かす

 

「花と鳥」 平成17年~18年

 芸無しの持つ たった一つの生きるという芸

 生きるに飽き春にとまどい どっこいしょ

 もう笑うしかない歳のせいという病気だ

 老いて無職という名の天職と持つ

 今日もガンバローと拳つきあげて笑う妻

 

「露の命」 平成19年~20年

 椿きっちり咲ききって落ちるその日まで

 未来はきっと変えられるスコップ踏み込む

 その時までを懸命に這う虫のいのち

 泣いたことも笑ったこのもみんな年輪

 読めない空気は読まず楽に生きる

 分別をいう邪魔ものあって面白くもなし

 飛ぶ虫と這う虫、それぞれの時間がある

 鳴き終えた蝉ころりとあおむいている

 わたしの背中に貼られている札が見えない

 

久光良一第4句集「男という孤島」

久光良一さんの第4句集「男という孤島」が届きました。令和2年(2020年)発行です。平成29年、平成30年、平成31年・令和元年の句がまとめられています。

「あとがき」には、令和2年3月に妻が他界されたこと、この句集の最後の章に妻の句を加えたこととともに、次のように語られています。

私もいつのまにか85歳。その年齢による老化が作品にも表われているような気がしないでもありませんが、私にとってこれらの句は、この時代を生きた大切な記録ですから、貴重な足跡として残しておきたくぃと考え上梓することにしました。

正直言ってあと何年句作が続けられるかわかりませんが、体が許す限り、これからもこの道をきわめる努力を続けて、少しでもポエムの深遠に近付きたいものだと思っています。

題名となった「男の孤島」という句が掲載されているページを開くと、次の句がありました。

 無職という自由と老いた体の不自由

 この世の一つの縁として灯りが待っている

 真っ赤な旗を立てよう 男という孤島に

 燃えるごみ捨てる日のわたしの燃えない日常

 

私にとって、2017年の第3句集「熱い血」だけが手に入らないことが心のこりです。何かの縁で手にできることを期待しています。