2023年2月11日、建国記念の日。
今日から、ブログを再開します。
これからのテーマは、自由律俳句です。
私が大好きな荻原井泉水と木村緑平が中心となります。
荻原井泉水著 「詩と人生」『あとがき』 昭和47年8月15日発行 潮文社より
口絵の見開きにかいたーー
心に詩のある人生をもて
君の人生を詩として書け
若き人に呼びかけたいと思う私の言葉である。「詩のある人生」とは特別の人生ではない。誰の生活でも、どんな生活でも、そこにある私を、もう一つの私の大きな目が見れば、私小説としての文学にもなる。Ich Poesie(自己詩)としての詩にもなる。詩というのは、難しいものではない。
雪の朝ひとり乾鮭を噛みえたり 芭蕉
芭蕉が30代、生活に困っていたころの句だ。これも詩である。いや、これこそ庶民の詩だと言ってよろしい。淋しいときにはその淋しさが、悲しいときにはその悲しさが詩になる。
ほうたる来い来いふるさとにきた 山頭火
朝湯こんこんとあふるる中の私 山頭火
この山頭火はーー「天、我を殺さずして詩を作らしむ、われ生きて詩を作らん、われみずからのまことなる詩」と書いている。
人間どんな境涯であれ、今日、生きているということは、生かされていることだ。神の仏のと、宗教的なことを考えよというのではない。この一日をたしかに自分のための一日だと受け取るところに、自分の身のまわり、見れば詩はそこにある。
紫苑の花やきようという日を静かに生きよう 抱壺
抱壺は不治と言われた病床に横たわる若者である。この人は大正時代に亡くなったが、その書き残した詩は、一冊の集として今も多くの人に愛誦されている。
彼の心は死んでいない。芭蕉が私たちの心の中には決して死んでいないように、山頭火がこれから先も永く生きつづけるように。
昭和47年7月 荻原井泉水