残りの日々を楽しく

そろそろ終活の季節になってきました。残りの人生を前向きに生きていきたいと願って名づけました。

詩と人生 5 生活の中に詩を

荻原井泉水の著作を現在購入しようとしたら、何が購入できるのか?

Amazonを検索したら、電子書籍の出版社「インタープレイブックス」で『一茶名句』と『芭蕉名句』が各660円で購入できます。

井泉水のそれ以外の著作は中古商品みたいです。

自由律俳句を提唱・確立した理論的主柱の井泉水が、なぜ受け継がれていないのか?

現在、私の手元にあるのは、句集と他の俳人の解説を除いて以下のものがあります。

  新しき俳句の作り方 春秋社 大正15年

  俳句教程 千倉書房 昭和11年

  俳句への道 現代教養文庫99 社会思想研究会出版部刊 昭和30年

  詩と人生 潮文社発行 昭和47年

  自然・自己・自由~新短詩提唱~ 勁草書房 昭和47年

 

だから、私が、それを書こうとしているのです。

井泉水は何を主張し、築いていったのか?

 

今回は、昭和47年「詩と人生」『5 生活の中に詩を』より

ここから、俳句とは何かをもう一度考えてほしい。

 

芭蕉について、井泉水は次のように書いています。

 

当時の俳諧の世界は、松永貞徳を中心とする古風、西山宗因を中心とする談林と大きく分かれていた。貞徳は旧派として保守であり、談林は新派として進歩的だった。だが新派も旧派も、俳諧とは「おかしみ」であるという根本の考えには一致していた。(元来、俳諧という語源はおかしみということ、これが俳諧の原点ではあるけれども・・・)。要するに洒落(しゃらく)であり滑稽(こっけい)である。こうした「おかしみ」を旧派では言葉の口合い(駄じゃれ)で行く、または頓智ふうに行く。新派ではユーモアで行く、意表を突いて膝を打たせるように行く。そうした相違があるだけのことなのである。

 

茶の湯では「わび」ということを一つの美徳とするけれども、それは生活に足りた人が時として気分を転換するための趣味であって、貧しさを好むことなどはあり得ない。世間の俳諧というものは、旧派と言い、新派と言ったところで、要するに衣食足りている人の趣味であり、遊びである。芭蕉自身とても俳諧師としては、こうした遊びのお相伴をしているのだ。だが、それは自分の身についたほんとうの言葉ではない。自分の生活とは無縁のことではないか。芭蕉はこうしたことを考えていたろうと思われる。延宝8年(37歳)のときーー

  富家は肌肉を喰らい、丈夫は菜根を喫す、予は乏し

   雪の朝独り干鮭を噛み得たり

という句を作っている。雪は風雅の本命である。俳諧師としては雪の美しさを讃えた句を作るべきであろう。だが、自分は雪に降られてただ寒いばかり。朝食に干鮭の一片にありついたことがせめてもの風情だという。芭蕉のいつわらない生活感情である。こんな感情は俳諧にもなんにもならない愚痴のようなものかもしれないが、これを自分が多年手なれた表現にしてみると、この表現は捨てがたい。これは俳諧そのものの味とは違うだろうが、そこに真実がある。自分として表現しないではいられないモーチブを感じる。ーー「これは詩ではないか」ーー芭蕉は「詩」という言葉をこうした意味では使わなかったけれども、今日の言葉をもって芭蕉の気持ちを代弁すればーー「ここに詩がある」ということである。つまり、芭蕉はその生活の中に=その人生の中に詩を見いだしたのである。当時の俳諧というものが、生活から全く遊離している「遊びの世界」であるのとは違って「詩の世界」というものが見出されたのである。

 

  月に坐して空しき樽をかこち、枕によりて薄き衾(ふすま)を愁ふ

   艪の声 波を打って腸氷る夜や涙

深川の侘住居は隅田川が近いので、寒い夜の川波を切って漕ぐ舟の艪の音がさびしく哀しく、腸にしみるほど、自分の貧しさを思うと涙を催すばかりだというのである。世間に流行する俳諧の遊びは衣食に事足りている人達の世界。自分のような貧しい生活をしている者もいかに多いことであろう。考えてみれば、これこそ人間の生活のきびしさではないか。この真実は、当然、表現されなくてはならない。然らばその表現は「詩」ではないのか。「捨てはてて身はなきものと思へども雪のふる日は寒くこそあれ」ーーこの西行の歌もまた、この境地ではないか。和歌も俳句もともに人間の真情をうたいあげたものでなくてはなるまい。自分は俳諧というものを「詩としての俳諧」として改造しようではないか。そのころの芭蕉の気持ちを代弁すれば、こういうことではないかと思われる。