残りの日々を楽しく

そろそろ終活の季節になってきました。残りの人生を前向きに生きていきたいと願って名づけました。

土地問題と日本の歴史概観

『合本ほつま』757ページに、水上雅雄さんの略歴が載っていました。

昭和14年浜松市生。昭和24年より静岡市で育つ。昭和37年東北大学工学部卒。同年日立製作所入社。電子回路開発に従事。同社デバイス開発センター勤務。松本善之助先生に師事する。

 

その水上さんが、その『合本ほつま』831ページに、「土地問題とホツマツタヱ~土地問題解決への発想転換」があり、その中に『日本の歴史概観』が書かれていました。とてもよくまとまっているので、以下に掲載します。

 

 1949年(昭和24)群馬県新田郡笠懸村岩宿で関東ローム層の赤い土の中から石器が発見された。これが日本に旧石器文化のあったことの証明の端緒となった大きな事件である。この文化は無土器文化ともいわれ、先土器または先縄文文化ともいわれる。おそらくこの時代は、農業は行われていなかった。続く新石器時代には土器を使用し狩猟や漁撈を中心とした生活のなかに農耕や牧畜もおこなわれていた。集落も次第に定着性を帯びてくる。環状列石などの遺跡から宗教も生活のなかに定着してきたことが知られる。ここで大切なことは、稲作が縄文時代から行われたか弥生時代から開始されたかである。考古学は従来後者とするが、最近の遺跡の発見から縄文時代に遡る説が有力である。

 やがて集落も大きくなって小国家が形成されていく。中国、朝鮮との交流も行われて、大陸文化の影響を受けるように

なる。やがて中央集権国家が成立する。巨大古墳は大陸文化の影響を受けた統一国家の成立を物語るものであろう。

 飛鳥時代には仏教が正式に導入され、その後、大化改新が行われる。この基本政策は、(1)私地私民の収公、(2)地方行政組織の整備、(3)戸籍・計帳・班田収授法の成立、(4)税制の確立である。その後、庚午年籍近江令がつくられ中国の法体系にならった律令(古代の法律)による土地人民の支配体制ができあがってくる。

 しかし、人口増加に伴い有力な社寺・王臣家の土地開発や占有が活発になって、支配の根底がゆらいできた。723年(養老7年)には国家的土地所有の建前を譲歩した三世一身法、つまりあらたに土地を開発した者には三代の間、旧来の灌漑施設を利用して開墾した者には、その一代限り墾田の私有を認めるという法令が公布される。

 743年(天平15)国家的土地所有のたてまえを自ら修正した墾田永世私財法が出された。公地公民の律令国家体制が根底からゆらいできた象徴的できごとである。墾田はやがて大土地所有をうながし、荘園という私有地成田の主体をなした。

 荘園の発達は地方の治安の乱れを生じ、荘園は自衛のために武士団を形成していく。やがて武士政権である鎌倉幕府が誕生する。古代王朝は承久の乱にやぶれてからは、幕府の支えがなければ枯死するだけの存在となった。室町幕府は大きな戦争のあるごとに公家・寺社領を略奪してきた。

 応仁の乱を契機として全国的に立ちあがって新しい権力の座についたのは、いわゆる戦国大名達である。そして織田信長の後を継いだ豊臣秀吉が天下を統一する。ここで有名な太閤検地が実施された。この検地の結果、耕地は洩れなく登録され原則として農民はその土地から自由移住を禁止され、農業に専念することを義務づけられたうえ、収穫の3分の1を自分の取り分とするだけで、残り3分の2を年貢として上納しなければならなくなった。

 江戸時代も太閤検地を承継し、農民からきびしく年貢をとりたてる。江戸幕府は農家育成の一法として、田畑の永代売買を禁止し、分割相続にも制限を加えている。(寛永20年、1643年)

 慶応3年大政奉還、明治3年版籍奉還、4年廃藩置県明治維新の政策が次々と断行される。明治5年(1872)地所永代売買解禁の布告が発せられた。この布告は土地取引の自由を宣言した歴史的な法令である。政府がすべての土地の所有権を決定する作業は、地租改正法公布(明治6年)によって本格的に始められ、明治22年の土地台帳規則公布にいたっておおむね終了した。

 現在のわが国の土地所有のあり方をもたらした歴史的原因は、明治政府による近代的土地所有権の実現過程のなかに第一の原因あると主張する丹羽邦男氏の著書『土地問題の起源』(平凡社 1989年8月)から引用する。

 明治政府による近代的土地所有権実現の意図は、実現過程で従来の土地利用を維持する種々の土地慣行を破壊しつつ、私的土地所有を成立させた。この私的土地所有は土地利用に絶対的に優越し、個別的・排他的であることによって商品性をもつ土地所有である。政府は、地券公布・地租改正の過程で、こうした私的土地所有に最も適合したと土地所有を見出した。商業・金融資本による土地所有がそれである。耕地においては地主的土地所有としてあらわれる。

 とある。戦後昭和21年(1946)に断行された農地改革は地主的土地所有を大きく改善した点はあるが、土地問題の本質は温存された。