ホツマツタヱとミカサヤマフミの成立事情
松本善之助編集発行の「月刊ほつま」(平成6年9月終刊)の「昭和49年4月号」(復刊3号)に、「ホツマツタヘとミカサヤマフミの成立事情」が掲載されています。
・クニナヅについて
・なぜ書かれたか
・語義はどうか
・「なぜ書かれたか」より
まづタリヒコオキミ(景行天皇)がヤマトタケの示唆によってカグヤマフミを書かれたのだが、これに習ってクニナヅ・スヱトシ(オホタタネコのイミナ)両命が別々に各自家伝の記録を基にしてミカサヤマフミ・ホツマツタヘ両書を編纂して大君に捧げたのであった。・・・
さらにスヱトシ命のホツマツタヘヲノブもクニナヅ命のクニナヅガノブも共に大君への献詩ではなく、各々の作品に対し献上記念として、合作の讃歌を作って相互に交換し、各自の子孫へ残したものとみられる。この事はスヱトシ直系と目される三輪容聡の家にホツマツタヘばかりか、ミカサヤマフミも保有されていた事からも立証されよう。
・「語義はどうか」より
ホツマの語義は、ホ秀、ツ助詞、マ真で、秀真(ほつま)となる。・・・
ミカサヤマは、神戴山と三輪容聡は訳し、万葉集では三笠山、御笠山の二つが混用されている。・・・本来、ミカはタケミカツチ、クシミカタマのミカで厳(いか)と同じの神々しい、サは清(さ)で笹、酒のサも同じ、ヤは弥、一層の意、マは真。即ち、一段と神々しく清らかな真(まこと)という意味に私は考える。これだとホツマの名称に相応するからである。