残りの日々を楽しく

そろそろ終活の季節になってきました。残りの人生を前向きに生きていきたいと願って名づけました。

働きの人生哲学

中村天風著「錬身抄」の付録として収録されている『働きの人生哲学』という小文があります。以前取り上げた沼正也先生の「エイジレスの法理」と同様、現在の私の仕事観(定年後の余生観)と考えさせてくれました。天風さんはそこで、次のように言っています。

「やれ出世のためとか、自己のためとか、特に極端な人になると、老後安楽にならんがためとか、もっとひどいのになると、食わんがために働くんだという人するある。食わんがために働くというのは、何の事はない『食わんがために活きて居る』というのと同様である。」「およそ食うという事は活きんがために為す人生行事なので、食うために活きているのではない、『働く』ということも又然りで、即ち食うために働くのではなく、働かんがために食うというのが、絶対の真理である。」

「もっと突込んでいうなら、彼等の多くは、概ね『働く』という事を嫌忌して、その富や地位を利用して、出来るだけ、安楽に悠々と遊んで活きて居たいという人生真理の上から厳格にいえば、いわゆる途方もないことを考えて貴重な毎日を『働く』という人間の生れつきの役目から遠のいているからである。」