松本善之助著・池田満編「ホツマツタヱ発見物語」は、ホツマツタヱとミカサフミができた動機を次のように述べています。
ヤマトタケが亡くなる時に、父のヲシロワケ(景行天皇)への遺言に、日本国のアマナリ(天成)の道のことを子々孫々に書き遺しておきたいと書かれていたのです。そこで天皇はみずからカグミハタなるフミを書き、これにならってオホタタネコがホツマツタヱを、オホカシマがミカサフミを共に献上したという訳です。
なぜそういえるかというと、ヤマトタケが亡くなり、父のヲシロワケ(景行天皇)もなくなり、次の天皇になったウヂヒト・ワカタラシヒコ(成務天皇)、カシキネ・タリナカヒコ(仲哀天皇)の時代を経て、十五代応神天皇の時代になると、日本は大動乱の時を迎え、古来から連綿と使ってきたヲシデ文字は廃止されて漢字に代わり何もかも外来思想により牛耳られてしまいます。
このような悲しい危機をヤマトタケは肌に感じていたからこそ、ヤマトのアマナリノミチをフミにして遺しておこうとしたと思えるからに他なりません。