山頭火文庫9「山頭火 日記(五)」平成元年、春陽堂発行より。
昭和九年二月五日
天も私も憂鬱だ、それは自然人生の本然だから詮方ない、水ばかり飲んでいても仕方がないから、馴染みの酒屋へ行って、掛けで一杯ひっかけた、そしてさらに馴染みの飲食店からの稲荷鮨とうどんとを借りて戻った。
湯札が一枚あったので、久しぶりに入浴、憂鬱と焦燥とを洗い落してさっぱりした。
幸福な昼寝。
やっぱり、句と酒だ、そのほかには、私には、何物もない。
大根、ほうれん草、新菊を採る、手入れをする、肥えをやる。
私の肉体はほとんど不死身に近い(寒さには極めて弱いけれど)、ねがわくは、心が不動心になれ。
米桶に米があり、炭籠に炭があるということは、どんなに有難いことであるか、米のない日、炭のない夜を体験しない人には、とうてい解るまい。
徹夜読書、教えられることが多かった。
椿の落ちる水の流れる
みそさざいよそこまできたかひとりでなくか
梅がもう春ちかい花となっている
轍ふかく山の中から売りに出る
枯枝をひらふことの、おもふことのなし
そこら一めぐりする椿にめじろはきている
ふるさとなれば低空飛行の爆音で