残りの日々を楽しく

そろそろ終活の季節になってきました。残りの人生を前向きに生きていきたいと願って名づけました。

ホツマツタヘはなぜ地中に隠れたか

『合本ほつま』299ページから、表題の論考を取り上げます。

 

 わが国に仏教が入ってきた時の血なまぐさいばかりの拒絶反応を、日本書紀は審さに記録して後世の我々にみせてくれる。それは欽明、敏達、用明、崇峻各天皇紀をひもとく者の誰もが感ずることであろう。仏教輸入派の蘇我馬子は、皇室をも抱きこみ聖徳太子を手中にし、日本古来の信仰を守ろうとする巨頭物部守屋を屠り去り、更に崇峻天皇殺逆といふ前代未聞の大不兇事をも敢てした。

 だが、このように物議をかもした仏教渡来より一世紀あまり前に、儒教はわが国に入ってきている。この時の日本の接し方はどうだったのだろうか。さぞや強烈な反撥があったと読者は思うだろう。それが意外にも、後にみるように日本書紀は元より古事記さへ、何事もなく至極スムースに受け入れてしまったように書かれているのである。これは又どうしたことであろうか。

 本当は、その時こそ仏教渡来の時よりも幾層倍かの深刻な軋轢があり、もっと血なまぐさい頑強な斗争が繰り拡げられたのではなかったのか。もっといえば、そういう事実があったには関わらず、そのことを記紀は載せなかったのではないか。そんな風にも思えてくる。

 そしてつまる所、儒教が侵入してきた時こそ、逆にホツマツタヘなどの貴書が地下に潜らざるをえなかった時ではないか。またそれは同時に、日本固有の古代文字を使わなくなった時期をも意味するのではないかと考えざるをえなくなったのである。