法話会を聞きながら、テーラワーダ仏教と僧侶の質問に対するダライ・ラマ法王(チベット仏教・ゲルク派の僧侶)の話が言語の関係もあり、なかなかかみ合わない感じでした。
その一番の理由は、おそらくお互いが相手の仏教をよく知らないために、その関心の重点の置き場所が違うためだと思います。
例えば、スリランカの僧侶が「呼吸の瞑想をどのようにするのか」という質問をしたところ、法王の答えが「波羅提木叉(はらだいもくしゃ)」の話で答えていました。
でも、上座部の方々と大乗仏教、チベット仏教の方々がお互いに刺激しあうのはいいことだと思います。