youtubeに、NPO法人eboard(イーボード)が「映像授業で勉強を応援!」「わかる歴史」を日本史は、基本は、田中英道さんの「日本国史」上・下がアップされています。古代日本から戦国時代(戦国列伝)まで85本があります。
これを聞きながら、田中英道さんの「日本国史」上下を基本にして、朝日新聞出版の山岸良二監修「テーマ別だから理解が深まる日本史」を参考に勉強していく。
今年から、万葉集を勉強することにしたのですが、自分に合ったやり方をようやく見つけることができました。
折口信夫さんや佐々木信綱さんの万葉集の本をkindleで買ったり、それに関連する本をいろいろとあたっていたのですが、現代語訳が自分に何かしっくりこないものがありました。
そこで、いろいろと悩んでいたのですが、やっと、自分のやり方が見つかりました。今回は、その方法を書きます。
本当は、近くかオンラインでの講座があればそれに参加するというのがいいのかもしれませんが、また、youtubeでも適当なものが見当たりませんでした。そこで、独学にしました。
最初に、テキストは塙書房の『萬葉集 本文篇(補訂版)』佐竹昭広・木下正俊・小島憲之共著にします。これは、たまたま近くのブックオフで825円で売っていました。この本は、漢字のみで書かれている本文にひらがなの傍訓を施したものです。よって、現代訳は掲載されていません。
次に、現代訳を誰ので学習しようかと思ったのですが、どの本も自分にしっくりこないので、ここで少し手間取ってしましました。
たまたま、検索で、奈良県立万葉文化館の『万葉百科』のことを知りました。これには、万葉集に関するいろんな情報があって、人物から万葉集を検索できたり、巻番号で探せたり、歌番号で検索できたりします。
例えば、歌番号で「1418」で検索すると、歌詳細が出てきます。これには、漢字本文、読み下し文、訓み、現代語訳が次のように出てきます。また歌人「志貴皇子」も別名も掲載、また歌人のページに連動しています。
漢字本文:石激垂水之上乃左和良○乃毛要出春○成来鴨 ※○は変換できす
読み下し文:石走る垂水の上のさわらびの萌え出づる春になりにけるかも
現代語訳:岩の上をほとばしる滝のほとりのさ蕨が萌え出る春に、ああなったことだ。
・・・いろいろと省略していますが、こんな具合です。
このページの何が一番いいのかと言うと、現代語訳です!
和歌(短歌)は五七五七七ですが、それが何とこんなにも短く、かつ要領よくまとまっています。
これが、私に、まさに、しっくり来たところです!
これなら、テキストにした『萬葉集 本文篇』の漢字本文の下の空白部分に、二行(五七五と七七に分けて)で書いていけます。
他の本の現代訳は、私には、長すぎたのです。また、その訳が何か自分にはしっくりこなかったのです。
この方法を見つけたので、これからの勉強ははかどると思います。
以上、バンザーイ
最後に、奈良県立万葉文化館の『万葉百科』のWebページに感謝です!
なお、「奈良県立万葉文化館」では、月1回、『万葉集をよむ』という講座をしており、オンライン参加もできるので、さっそく2月の申し込みをしました!
小名木善行さんの『ねずさんの 奇跡の国 日本がわかる万葉集』を読みながら、いままでの萬葉集解釈は何だったのだろうかと思っています。
万葉集は万葉仮名で書かれているので、それを読み下ししながら解釈しているのですが、第一首の大泊瀬稚武天皇(雄略天皇)の訳文だけみてみます。
現代語訳はそれぞれ調べてもらうにして、小名木さん以外は似たり寄ったりです。これはどこから来たのかは、不勉強でわかりません。
これを、小名木さんは次のように現代語訳しています。
新鮮な食べ物の入った竹籠を
乳児に乳を飲ませる美しい母に与えよう
永く広く与え続けることを
国の父としての神聖な志にしよう
この岳で
菜や木の実を採取している男子たちよ
家とはくつろぎの名
その名はやさしくとどまるところを告げる
巨大で行き届いた
たくさんの人々が往来する大和の国は
果樹の木でできた片開きの戸に手を添え
私がしっかりと腰を据えて神に祈ろう
主君が素晴らしければ
人口が増えて人手も倍になり
みんなのくつろぐ場所も増えていく
私が神の背に祈りを告げるのは
生活をする男たちや母たちの名です
何やら、現代の政治家に聞かせてあげたい言葉の数々です。
裏金政治家たちや権力闘争にあけくれている方々は、能登半島地震で被災された方々や国民のことを本当に考えているのでしょうか。
それとともに、今までの学者といわれる人々は、どうしてこのような萬葉集の解釈さえできないのでしょうか。
その他、額田王の第八首は「平和な世が崩れていく哀しみの歌」と解釈、同じく額田王の第二十首、第二十一首の解釈といい、どうして今までの学者は天皇や皇族の歌を、恋歌か権力欲の歌、はたまた不倫の歌にしたいのでしょうか。
私も最初は、万葉集の歌は、天皇も庶民も、現代の恋歌か演歌のように思っていましたが、基本のところがどこか間違っているのではと疑ってきました。